首里城内にある御嶽(うたき)。国王や聞得大君が東御廻りの往路の安全を祈願した第1番目の拝所。
沖縄には古来より祖先信仰、自然信仰の精神文化があります。沖縄では太陽の昇る東方のことを「あがり」と呼び、東の海の先には理想郷二ライカナイがあると考えられていました。「東御廻り」とは、球王国時代、国家の繁栄と五穀豊穣を祈願する祭祀として行われていた行事で、ニライカナイから渡来した沖縄の創世神・アマミキヨにゆかりのある14か所の聖地を巡拝します。国家行事であった「東御廻り」はやがて士族、民間へと広まり、現在でも祖先を敬い自然の恵みに感謝する巡拝として、沖縄の人々に脈々と受け継がれています。
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首里城内にある御嶽(うたき)。国王や聞得大君が東御廻りの往路の安全を祈願した第1番目の拝所。
天女が降り立ったと伝えられる拝所。聞得大君の御新下りの際、仮御殿が造営され、国王や聞得大君の久高島参拝の発着地でもあった。
聞得大君が御新下りのときに霊力を得る儀式・御水撫でが行われた霊泉。与那原の人々の飲料水・生活用水としても重要な井戸であった。
琉球王国を建てた尚巴志の祖父・佐銘川大主が祀られている御嶽。佐銘川大が伊平屋島から移り住み暮らした場所とされる。
琉球三山を統一を果たした尚巴志(しょうはし)・尚思招(しょうししょう)父子の居住跡。中城湾や勝連半島を一望できる高台にあり、久高島も望むことができる。
テダとは太陽を意味し、太陽神が降臨したと伝えられる。国王や聞得大君が久高島を参詣するときには、無事に船が航海できるよう航路安全を祈願した。
アマミキヨによって創られたとされる琉球開びゃく七御嶽のひとつであり、聞得大君の就任儀式が行われた、東御廻り最高の聖地。
琉球最古の歌謡集「おもろそうし」にもうたわれる国指定史跡のグスク。グスク内には東御廻りの拝所「友利御嶽」(ともりうたき)や「火の神」がある。
知念グスクの西側にある泉。井泉の後ろにあるウファカルは「受水・走水」とならんで、沖縄で稲作発祥の地とされている。
百名の海岸近くに湧き出る2つの泉。沖縄の稲作発祥伝説の中心となっており、現在も稲の始まりを神に感謝する行事が執り行われている。
琉球の創世神・アマミキヨが海の彼方にある神々の理想郷・ニライカナイから渡来し、沖縄本島に最初に降り立った場所といわれる。
ヤハラヅカサに降り立ったアマミキヨが仮住まいをした地。浜川とは海辺の湧き水のことで、現在でもこんこんと湧き水が流れている。
浜川御嶽に仮住まいをしていたアマミキヨが安住したといわれるグスク。祭祀遺跡としても名高く、沖縄貝塚時代中期土器片、貝殻等が採集されている。
アマミキヨが築いた琉球七御嶽のひとつでもあり、干ばつの際には国王自ら雨乞いの儀式を行ったとされる。東北東に向かう門はニライカナイに通じるとされ、夏至の日には太陽の光が差し込む。
琉球の創世神とされ、久高島そして次に沖縄本島へ降り立ったといわれています。琉球王国は国づくりの神としてたてまつり、島の人々は豊穣をもたらした神として祈りを捧げました。
聞得大君は、国の祭祀をまとめる重要な役割を持った最高の神職で、国王の姉妹等おもに王族の女性が就任しました。 初代(1470年)から15代(1875年)までの約400年にわたって、琉球王国の神事を担いました。 最高神職に就任する最も重要な儀式「御新下り(おあらおり)」は斎場御嶽で執り行われました。
自分の名を名乗り「見学に来ました」と唱える。
聖地は祈りの場所だということを念頭に入れて。
入浴するなど、身を清めることがエチケット。
石や道植物などを記念に持ち帰るのは禁物。
拝みをしている最中の人たちに声をかけてはいけない。
写真もやめましょう。
独特の価値観や文化を知るためにも解説に耳をかたむけて。
香炉は神聖なものです。足で踏み付けることは厳禁です。
御嶽を美しく保つように心がける。自分のゴミは必ず持ち帰りましょう。
観光地のお城巡りとは意味が異なるので、予備知識は必要。
沖縄の日常的な町並みを歩くのもウォーキングならでは
東御廻り聖地以外にも見どころスポットが!
心地よい海風の中をウォーキング
のどかな農道では牛にも出会えます
聖地では感謝の気持ちで手を合わせましょう
ニライカナイがあるとされる東の方向には神の島・久高島が。
昔ながらの沖縄の里山を歩くのも醍醐味
垣花樋川の湧き水でリフレッシュ
(古くから、貴重な湧き出る水を神聖なものとしました)
緑のトンネルを抜けると広がるのは青い海!
与那原町内の東御廻り聖地「御殿山」「親川」を中心に、沖縄そして与那原の歴史をたどりながら、歴史ガイドを一緒にノルディック・ウォークでまち歩きをするコースです。
消費カロリー/約2,380キロカロリー